31.  京賀道路拡張記念碑


32.  京賀のお大師様


33.  教念寺山

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教念寺歴代の住職の墓がある。古い教念寺の地ともいわれる。


34.  荒神様

寺の前の火よけの神、古い教念寺の地


35.  宇部中学校記石碑とケヤキ

大正9年(1920)4月、全国初の村立中学校として開校。宇部小学校の仮校舎で授業が開始され、9月、村役場の隣地に宇部村立中学校が新築された。第1回卒業生が石碑を建立。(大正12年県立中学校、昭和23年県立宇部高等学校に)同校のシンボルのケヤキは当時からのもので、昭和37年の火事が原因で腐朽(ふきゅう)が進んでいたが、創立80周年記念事業で、樹木医により治療され元気を取り戻した。


36.  宇部村役場跡

明治12年(1879)、川上、小串、上宇部、中宇部、沖宇部を一の地区として宇部組戸長役場を設置したのが始まり。明治22年、五つの村が合併し、宇部村役場が開かれた。


37.  松絃山教念寺【浄土真宗本願寺派(西)】

開基は、大内氏の家臣・兼安伝左衛門専正(かねやすでんざえもんもろまさ)で法名は正専(まさもろ)。妻の縁故で宇部に定住し文明14年(1482),教念寺を建立。また、別の説に宮下若狭守正兼という武士が兼安伝左衛門専正の死後、正専という法名を継ぎ、延徳元年(1489)、教念寺を建立。現在の本堂ができた180年前頃は、宇部村1000戸の8割が門徒だった。境内墓地には、常盤湖築堤の采配をふるった福原家の家老・椋梨権左衛門のお墓もある。徳海楼(位牌堂)には、沖の山、東見初、西沖の山、本山炭鉱の殉職者がまつられている。


38.  寺の前

教念寺から宇部小学校(現上宇部中学校)までの間をいい、江戸時代末から明治にかけ、浄土真宗の教念寺にお参りする人が多くなり12月19日に市が立つようになった。正月用品を求める人で大変なにぎわいを見せていたという。酒場、郵便局、旅館などもでき、ないのは風呂屋と写真屋だけで「宇部の東京」といわれたほどだった。明治30年頃、教科書などは船木まで買いに行っていた。


39.  教念寺境内樹林(宇部市指定天然記念物)

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典型的な暖帯林でタブノキ、ナナミノキ、ヤブニッケイ、アラカシ、クロガネモチなど、20種類の木々がある。


40.  ナナミノキ(山口県指定天然記念物)

モチノキ科、雌雄異株の常緑樹で、幹周り3m、高さ23mあり国内最大級と言われていたが、平成3年の台風19号で一番小さい幹が倒れ、その後平成16年の台風18号で他の幹2本も倒れてしまった。しかし、それらを起こして上部を切った痕から新たに若葉をつけており生命力の強さに驚く。


41.  竹林山松月院【浄土宗】

建久7年(1196)、寂照法師(じゃくしょうほうし)が真言宗のお寺として「五台山文殊院(ごだいさん もんじゅいん)」を建立、文殊菩薩像(もんじゅぼさつぞう)を本尊とし、弁財天(べんざいてん)をあわせまつり、大切に守られていたが,江戸時代の万治2年(1659)、浄土宗に改宗し初代住職に浄誉了伝上人(じょうよりょうでんしょうにん)(厚東浄名寺(じょうみょうじ)を真言宗から浄土宗に改めた高徳の僧)を迎える。その2年前、吉敷毛利家に嫁していた福原元俊(14代)の娘が亡くなりのちに位牌を宇部にまつることになり、「妙寿院殿松月周永大姉(みょうじゅいんでんしょうげつしゅうえいだいし)」という法名から松月庵となる。明治44年(1911)松月院に改称。別堂にまつられている弁才天の縁日7月14日には、浄水でお金を洗い、浄銭を財布の種銭にする。今一休と呼ばれた第19・21世住職道重信教上人(みちしげしんきょうしょうにん)は、大正12年(1923)、浄土宗大本山の1つで徳川家菩提寺である東京の増上寺の法主(ほっす)(住職)となり、翌年には「大僧正」という最高の僧位になられた。


42.  鼓権現社(つづみごんげんしゃ)・祇園社跡

ごんげん様、おぎおん様と呼ばれていた。権現とは仏菩薩がすべての生き物を救うために、日本の神に姿を変えてあらわれた神。


43.  火の神様

「元治元年甲子(1864) 今月今日 村中」と書いた祭の幟(のぼり)が保存されている。


44.  日切地蔵尊

日数を限ってお参りすれば何でも叶えて下さるお地蔵様。大正10年建立。


45.  厳島神社・稲荷社

江戸時代、大飢饉があった時、水の神様=厳島神社、稲の神様=稲荷社をまつったといわれる。昔、稲荷社は上宇部中学校と山大工学部との中間あたりにまつられていた。